Evidence-based Linguistics Workshop Web Pages
講演者名に◎がついている発表が、互選による優秀発表賞審査対象者です。
経済のグローバル化が進む中で、中日両国の文化交流も活発化している。異なる文化的背景をもつ人々との交流において、言語だけでなく文化的要素の重要性を認識する人が増えている。これに伴い、日本語教育も言語能力の育成から、日本語を用いた異文化間コミュニケーション能力の育成へと転換する必要がある。教材は言語学習において重要な役割を果たし、学習者に大きな影響を与えるため、本研究では、張虹ら(2022)の「分析枠組み」に基づき、『まるごと』と『みんなの日本語』に含まれる文化的要素をコーディングし、量的に統計を行ったうえで、文化題材や提示方法を比較・分析する。それにより、日本の教材における文化提示の特徴を明らかにし、中国で出版された日本語教材への示唆を得ることを目的とする。
現代日本語の「ならでは」という機能形式は「xならではのy」という名詞修飾用法と「yはxならではだ」という述語用法を持つ。このうち、述語用法で用いられる「ならでは」が、叙述類型論における属性叙述を専ら形成するという仮説を提示し、その妥当性を検証する。具体的には、属性叙述は原則有題文となり、主語がガ格標示される場合には総記解釈だけを許すという前提を踏まえて、「ならでは」述語文の主語の標示形式のバリエーションと、ガ格標示された場合の意味解釈を調査し検討する。コーパス調査からは、「ならでは」述語文の主語はハ・モ・略題の標示形式を取ることが多く、ガ格標示された例はすべて総記解釈と考えられることを示す。また、内省判断調査からは、「ならでは」述語文が中立叙述のガと相容れないことを示す。以上の調査結果を踏まえた上で、属性叙述述語としての「ならでは」の特殊性は、「非知覚依存性」という語彙意味的性質に起因する可能性を指摘し、属性叙述が持つ「主観性」について新たな理解を提示する。
ある対象の特定の側面を強調することで、その定義や因果関係の理解、評価を誘導する比喩のフレーミング機能は、近年世界的に注目を集めている。しかし、実証的なデータを用いた量的な対照研究によって、比喩的フレーミングの普遍的特徴を解明する研究はなされていない。本研究では、ガルシア=マルケス『百年の孤独』の日英翻訳版に対する日本と英国のAmazonレビューから抽出したテキストを対象として、比喩を網羅的に同定、意味的特徴をアノテーションし、その作品評価のフレーミングのパターンを分析した。その結果、大部の本を読むことを<旅すること>に、作家の個性的な文体を<聞くこと>に、読書の苦労を<戦うこと>に喩えるフレーミングが共通していた。この結果は、文学作品を読み解くといった、主観性の高い経験を評価するレビューの言語特徴の一端を明らかにしており、ウェブ上の購買行動に影響を与える商品評価のレトリックの特性の通言語的な解明につながる。
近代アイヌ語における「川」はpetというが、落合(2024)はアイヌ語借用地名において「川」に相当する漢字表記(音読の「別(ベツ)」、訓読の「淵(フチ)」など)を通時的に検討した上で、アイヌ祖語の「川」に語末母音iを再建し、祖形を*peti ([peti, beti] > [peci, beci])とした。そして借用当時「別」はベツ(漢音)ではなくベチ(呉音)と読まれたと推察した。本稿はこの推察を裏付けるデータを提示する。樺太アイヌの山辺安之助がアイヌ語で口述し、言語学者の金田一京助が日本語対訳を付した『あいぬ物語』(1913)の中には弥満別(サハリン)、筑別(北海道)など、サハリンと北海道の地名が散見される。これら地名に相当するアイヌ語本来地名は片仮名表記でヤマベチ、チクぺチと振られており、これらアイヌ語本来地名において「川」の古形peciが保たれている。古代日本語がアイヌ語地名を借用した当初もアイヌ語の「川」は語末母音を持つ*petiであって、漢字表記「別」は呉音のベチを示した可能性が高い。
本発表は,福岡県柳川方言におけるsaruk-「歩きまわる」という動詞の補助動詞用法を記述する。九州方言に広く分布するsaruk-, sarik-という動詞は,各方言の談話資料,辞書等の記述から,補助動詞用法をもつことが伺える。しかし,当該形式が散在的(sporadic)かつ多回的(iterative)な進行を表すという記述がある宮崎県椎葉村方言を除き,詳細な記述はなされていない。本発表は,柳川方言におけるsaruk-の補助動詞用法が,散在的かつ多回的な意味を表す一方,進行は表さないことを示す。その上で,本動詞用法と比較し,①「歩く」ことを含意しない(例:torino toode sarukiyoru.「鳥が飛びまわっている。」),②本動詞にある主語の有生性制限がない(例:hukurono moote sarukiyoru.「袋が舞っている。」)という点で意味の漂白が見られる一方,③移動を伴う場合にのみ用いられるという点で語彙的な性質を残すことを指摘する。
現在、日本語の比喩研究は現代語を中心にデータベースの構築を行っている。一方で、古語の比喩表現の研究資源は乏しい。その状況を鑑み、発表者は『日本語歴史コーパス』(CHJ)に『分類語彙表』の意味番号をタグ付けしたメタデータである「CHJ-WLSP」を用いて、中世期(鎌倉~室町)のテクストから比喩表現を抽出する作業を行ってきた。これまでに『方丈記』『虎明本狂言集』からの比喩表現の抽出と分析に必要な情報のアノテーションを行ってきた。本発表では、新たに抽出が完了した『今昔物語集(本朝部)』コアデータ(148,947短単位)の比喩表現について、比喩の種別、比喩を形成する構文、比喩に用いられる意味分野などの集計結果を報告する。
現存する諸言語の語彙は、他の言語からの単語借用の歴史の上に成り立っている。日本語の場合、単語は語源によって和語、漢語、外来語に大別される。このような語源区分は、辞書等を調べない限り、日常会話から直接的に観測可能な情報ではない。しかしながら、母語話者は無意識的に単語の語源を把握できているという心理実験結果が報告されており(Moreton & Amano, 1999, EUROSPEECH)、日常的に観測可能な情報からどのように語源を間接的に学習できるのかが言語学上の問題とされてきた(Ota, 2004, J. Japanese Linguist.他)。本研究は、日本語及び英語の語源区分が、音声記号列情報のみから推定できる(教師なし学習可能)であることを、コーパスに出現する実単語データを用いたベイズ学習シミュレーションにより実証する。さらに、学習後の語源分類モデルを用いて、先行研究で報告された心理実験結果を説明できることを示す。
本研究は、話し言葉における「文末のカラ」のうち、因果関係を明示しない非典型的用法を対象とし、その談話機能の記述的分析を行ったものである。小説・ドラマ脚本など感情的な発話が多く含まれる資料から用例を収集し、「理由応答性テスト」と「談話マーカー共起性テスト」に基づいて分析を実施した。「いや」「そもそも」「とにかく」などの談話マーカーとの共起傾向を分類の基準とし、文末カラの用法を四つのタイプに整理した結果、話題の転換、補足的説明の導入、主張の補強など、タイプごとに異なる談話的役割が明らかとなった。従来この用法は、直感的な記述に依存し、定義や分類にも一貫性を欠き、周辺的に扱われる傾向があったが、本研究は言語事実に基づく検証を通じて、その機能と分布を体系的に明らかにした。
文末に現れる「述語+コト」は、命令(9時までに来るコト)、感嘆(お菓子の美味しいコト)、確認要請(ご準備はよろしいですコト)、感情表出(爽やかな朝ですコト)などさまざまなモダリティを表出する(森川, 2013; 尾野, 2019)。命令や感嘆のモダリティ表現は他にも存在するが、このような多様性はコトにしかみられない。本研究では、なぜ多様な意味が表現されるのか、わざわざ曖昧性の高い表現が用いられるのはなぜなのか、などの疑問に答えることを目指す。結論として、「文末のコト」は、話し手が発話意図をあえて明示的に述べないで、コトが導く命題を前提として提示し、聞き手が発話意図を推論することを要請する表現であると述べる。このような聞き手に対する推論の要請はグライスの様態の会話格率(曖昧な表現を避けよ)からの逸脱だと考えられるが、それが可能なのは話し手の聞き手に対する権威を背景としているからであると主張する。
“ 本発表は、異なる音調体系を持つ名古屋・関西・佐賀方言を対照し、埋め込み疑問文解釈と音調との対応を分析する。 西垣内・日高 (2010)は「直也は真理が誰に会ったか知っているの?」という文が東京方言では YN疑問文にもWH疑問文にも解釈され、両者が音調の違いと関係し主文述語にF0抑制があればWH疑問文として、それがなければYN疑問文と解釈されると指摘した。 上記にもとづき、3方言話者に対する条件を統制した刺激文( (1)疑問詞の音調、(2) 主文述語F0抑制の有無、(3) 文末上昇・下降)の知覚調査をもとに以下を報告する。 ・名古屋方言において(1)は疑問文解釈に影響を及ぼさないのに対し、語彙的にピッチ(式)が指定されている関西方言においては影響を及ぼす。 ・有アクセント方言(名古屋と関西)において、(2)の抑制を伴う文に対してはWH解釈が、伴わない文に対してはYN解釈が得られやすい。 ・YN/WH疑問文とで文末音調が異なる名古屋方言においては、他方言とは異なり(3)も解釈に影響を及ぼす。 “
本発表では、日本語の主部内在関係節 (以下、IHRC)には遊離数量詞を内在主部とするものが存在することを示す。そしてその統語論的・意味論的特徴を、Kitagawa (2019)の「pro主要部分析」に基づいて記述する。「花子が太郎が学生を3人紹介したのを褒めた」のようなIHRCの例は、「学生を褒めた」という意味になるが、「花子が太郎が学生を3人紹介したのを数えた」という例は、「学生を数えた」の他に「(学生の)数を数えた」という解釈も可能である。この時、「数」という解釈は「3人」を表すカテゴリーと考えられる。「3人」そのものを主要部として解釈するわけではないが、そのカテゴリーに意味役割を与えることで解釈する、IHRCの一つのタイプと考えられる。このような例がKitagawa (2019)の示すIHRCの特徴を示すことを記述する。
古事記は、現存する日本最古の史書とされ、日本神話から古代天皇家の歴史に遡り、後に完成した日本書紀とともに日本創世のロマンや政治的変遷、さらには記紀の解釈、考古学上の発見など現代も関心を呼んでいる。 本論では、古事記のもう一つの重要な役割として、日本国語の誕生への寄与を挙げる。天智らが主導し、天武によって完成を迎えた日本の国家統一たる大化改新は、天皇を中心とした中央集権体制によって日本を取り巻くアジアの国際情勢への対処を目指した。ここに従来日本各地の方言が主体で、公用語や公文書としての国語の使用もままならなかった中央政権が古事記を日本言語統一事業すなわち標準国語の出発点あるいは基本書として位置付け、用いたことの例証を試みる。古事記が日本国語の創世記となり、後世のひらかな、カタカナ等を含む新たな国語の創出を促したほか、現代の日本語に通じる日本人の思想文化といった認識へ与えた影響に及びたい。
“英語の ““cut”” と ““shut”” の様な語のペアは、語頭子音音素のみで異なっており、最小対 (minimal pair) と呼ばれる。また日本語の「仮名」と「蟹」の様な語のペアは、語末母音音素のみ異なっており、最小組である。先行研究では最小対語 (minimal pair competitor) の存在は、発音に影響することを示している。その際に local な最小組の存在と、global な最小差異語の数のどちらが効いているかについて、様々な見解が示されている。 本研究ではニュージーランド英語における DRESS と TRAP に関して、 local な最小組の存在と、global な最小差異語の数のどちらが効いているかを検証した。被験者に DRESS と TRAP を含む語を発音してもらい、第一フォルマントの値を分析した。その結果、最小対語を多く持つ語ほど、F1 の値は周辺的に発音されることが明らかになった。この結果はニュージーランド英語の母音に関して、 global な最小差異語の数の方が過剰調音に影響していることを示すものである。”
“石川県では、共通語の「ノダ」にあたる形式に「ガヤ」と「ゲン」がある。「ガヤ」は共通語の「ノダ」と同様、準体助詞とコピュラから成る。一方、「ゲン」は「ガヤ」から変化したものであり、若い世代が使う「新方言」であるという指摘がある(新田2004)。新田(2004)、野間(2015)等の先行研究では、「ガヤ」は共通語のノダにあたる広い範囲をカバーし、「ゲン」は使用に制限があるとされてきたが、発表者が2025に石川県七尾市で行った調査では、「ガヤ」「ゲン」が共に使用できるとされてきた場面で「ガヤ」は選ばれず「ゲン」のみが用いられるようになっていることが分かった。本発表では、「ガヤ」「ゲン」の使い分けに関して、現在の七尾市におけるデータを例に分析を試みる。 参考文献:新田哲夫(2004)「石川県金沢方言のガヤとその周辺」中井精一・内山順蔵・高橋浩二編『日本海沿岸の地域特性とことば―富山県方言の過去・現在・未来―』163-182, 富山: 桂書房.▼野間純平(2015)「石川方言におけるノダ相当形式―新形式の成立過程に注目して」『方言の研究』第1号: 251-276.”
“認知言語学では、空間・移動表現、およびそこから比喩として派生される言語表現の意味として、イメージ・スキーマを表現する図が用いられる。これは空間表現の意味を直感的に記述したものとして理解しやすいが、その図形の形状や矢印などの記号に厳密な定義は与えられていない。そこで本発表では、空間・移動表現の意味を記述するイメージ・スキーマおよびそれを表現する図に数学的なモデルを与えることを提唱する。 このモデルは、自然言語の空間・移動表現に関する意味論および認知科学的研究に、あらたな検証方法を提案することになる。モデルは比較的単純な幾何学で表現されるが、そのモデルは、個々の表現がどのような意味を持つかを、厳密に表現する仮説となる。これにより、紙上あるいは画像・映像、さらに仮想現実・拡張現実を用いた行動実験を行うことで、仮説の妥当性を検証し、理論のより健全な議論に結びつけることが可能となると考えられる。”
形容詞の語義には「程度」の大小や高低といった記述が多く見られる。『計算機用日本語基本辞書IPAL:形容詞』(以下,IPAL)において,「程度」を含む意味記述は136語中28件と,2割の語に含まれていた。本発表ではIPALや『現代形容詞用法辞典』における語釈を題材に,形容詞の意味記述について検討する。「程度」により記述される語義は多義語の派生義が多く,当該の語が有する他の語義との共通点及び不一致が示されれば,意味記述として成立する。一方で,複数の語で比べた際,差異が認められにくくなるという問題が残る。形容詞のより明瞭な意味記述を目指し,「程度」への抽象化が起きる形容詞の語義の派生プロセスに基づき,複数の語間の差異化に貢献する要素の記述について提案を試みる。
日本語における比喩表現の実態調査を目指し,均衡性を有した日本語比喩表現コーパス「BCCWJ-Metaphor」を構築している。BCCWJ-Metaphorは,語を基準に厳密な比喩性判定を行うMIP(The Pragglejaz Group 2007)により構築された比喩表現コーパスとの対照を可能とするため,BCCWJ-WLSP(加藤他 2019)の約35万語に対しMRWを認定している。また,日本語比喩表現の網羅的な収集を目途とし,実態に応じた比喩認定のため,中村(1977)の比喩性把握を援用した柔軟な認定も行った。但し,専門知識を有した作業者の比喩表現認定においても,比喩の定義および使用辞書などに基づく判定揺れ,境界表現(WIDLII: When In Doubt, Leave It In)などの「曖昧性」に対応する必要がある。そこで,比喩表現とされた用例,選択制限違反や慣用からの逸脱可能性のある要素の「結合」に対し,クラウドソーシングを通して一般的な日本語話者による印象評定情報を付与した。本発表では,BCCWJ-Metaphorにおける日本語比喩表現の傾向分布と,一般的な日本語話者の認識の傾向を示す。
“The English noun-modifying expressive modifier damn can express not only a speaker’s negative attitude toward the target expressed in a noun but also the speaker’s negative attitude toward an entire proposition (= propositional reading) (e.g., Potts 2005; Gutzmann 2019). In this presentation, I investigate the Japanese noun-modifying expressive modifier baka ‘stupid’ in the form X-no baka and argue that unlike the English expressive modifier damn, it simultaneously conveys a negative attitude toward an individual expressed in a noun and an entire event related to the individual within a single reading. I argue that the expressive use of baka develops as a result of its interpretation as a stage-level predicate representing a temporal property (Carlson 1977). In this presentation, I also look at the case where X-no baka is placed in a non-subject position and claim that in that case, X-no baka does not semantically scope over an entire event but rather makes reference to X’s contextually salient event and conveys the speaker’s negative evaluation of X and of the event related to X. By assuming an implicit event, I demonstrate that essentially the same semantic mechanism applies when baka appears in a non-subject position as when it appears in a subject position. This presentation clarifies that there is a new type of expressive modifier in natural language: a dual-expressive modifier.”
言語学の基礎を築いてきた巨人たちに同じ土俵・手立てで挑んでも、少なくとも私の頭脳では敵うわけもなさそうであり、若手としては、彼らの時代にはなかった道具立てで問いに挑んでみることも悪くないだろう。その新たな道具立てとして、(大規模)言語モデルがおそらく多くの研究者の脳裏をよぎるものの、その存在や成功が人間や言語について何を示唆するのかは全く自明でない。かといって、自明でないことをその道具について考えない理由としてあげるのでは、あまりにも消極的かもしれない。本講演では、言語モデルを言語学的仮説の概念実証に活用している自身の研究や、計算言語学分野の動向を紹介しながら、どう(大規模)言語モデルを活用することで、どのような言語学的問いにエビデンスを提供できそうか・厳しそうかについて、議論したい。
文法理論が何らかの形で実際の運用の理論に埋め込まれなければらならないことは、文法(知識)と運用の区別を主張したChomsky (1965)も認めるところである。しかし歴史的に、文法の研究と文理解・文産出の研究には小さくない隔たりがある。そして”理論抜き”で理解・産出をするように見えるLLMの台頭により、文法理論の意義そのものを疑う声まで出てくるようになった。本発表は、範疇文法と呼ばれる文法理論(群)を紹介し、それが文法理論としての妥当性、そして運用の基盤としての妥当性をともに備えている可能性と、課題について論じる。
本発表では、盲ろう者が用いるコミュニケーション手段のひとつである指点字について紹介するとともに、特に盲ろう者同士の会話における順番交替に関して議論を行う。具体的には、音声を基調とする会話における順番交替システム(Sacks et al., 1974)と比較した際、指点字では、その原理に起因して受け手にとって次の順番を開始するタイミングが不随意である特性があることを指摘する。一方、実際の指点字会話では、そのような特性があるにもかかわらず次の順番は極めて速やかに開始され得ることも報告する。さらに、速やかな順番の移行が可能である背後に「文」に関する理解や産出中の行為に対する理解があることを分析する。
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